2012年4月23日月曜日

私の易占のやり方

この前の易モニターですが、通常の易占の方法だけでなく、Tao Oracleカードを併用しました。これは前に書いたように、英語で出ている易カードと本のセットなんですが、筮竹を使って出した卦について、それに対応するカードを見てもらうのです。そうするとその卦の意味がわかりやすく理解できるんですね。ということでカード併用は、私のオリジナルです。

いい絵ですね~ ただ、本のほうを読んでみると易経とはあんまり関係なく著者のインスピレーションを書いているみたいなので、本の方はあんまり参考にはしてません。

易では、二つの卦を出します。二つ目のは今のエネルギーが変わらない場合にはどうなるかということだったり、場合によってはアドバイスカードとしても読みます。


1 乾
61 中孚

2012年4月21日土曜日

クリアリング技法

クリアリング技法として、最近、EFTタッピングというものを覚えました。これはなかなか即効性のあるものだと思います。とても簡単で本を見ただけでできるのでいいです。ネガティブ感情の解放によく効きます。

ということで私は、クリアリング技法としては、ホ・オポノポノ、EFTタッピングをよく使います。出先とかでタッピングができなくてもオポノポノはできますね。あともちろん、エネルギーヒーリングやシータヒーリングでやる方法もあるので、シンプルなものから本格的なものまでいろいろ揃いました。でもやはり、シンプルなものの使用頻度が多いです。

EFTはもともとTFTから発展したもので、TFTも試してみたのですが、EFTの方がシンプルでよく効くなという感じがしました。

ブレンダさんの本は、引き寄せの法則との関連でEFTを説明します。というのも、引き寄せの法則を実践する上で、自分の中にあるネガティブな思考や感情をクリアする必要があることはすぐに気づくことなので、そのための技法とセットでないと、引き寄せの法則は実践していくことができません。そのための簡単な技法があるというのは大事なことです。

4393364929すべての望みを引き寄せる法則 夢を叶えるタッピング
ブレンダ
春秋社 2007-09-26

この本、中古でやすーく買ったんですが、その日、何気なくページを開くと、「私はよく、自分の誕生日が4月11日なので、411か114という数字に出会うかどうかという実験をするのですが」というようなことが書いてありました。ふと気づくと、「今日は4月11日じゃん!」ということで時計を見てみると、「114」(1時14分)! う~む。こういうこともありますね。この本と波動が合ったということは確かなのでしょう。

本当は偉い「易」

易について基本的なことを書きます。
易というと、盛り場の隅の薄暗い一角であんどんを立てて易をやっている「易者」のイメージを思い浮かべる人が多いと思います。

それが現代日本人の易のイメージですが、実は易というのは、本来は、もう少し「偉い」ものです。

易のものになる「易経」という本は、中国の古典の中核を占め、中国の深遠な「タオ」の哲学を表現し、それによって万象を理解しようというものです。

中国、そして日本でも、必須の教養として古典を読むということがあり、それは「四書五経」と言われていました。
四書とは、論語・大学・中庸・孟子であり、五経が、易経・書経・詩経・礼記・春秋です。易経は、「五経の首」なのです。
日本人でも戦前くらいまでは、リーダーになるような人はみなこれを読んでいたのであり、易は必須の教養であったのです。
そういう古典としての易を知るには、安岡正篤の本を読むといいと思います。

たとえばこちら。読むと、易とはいかに偉いものであるかがわかります(^^)

私にとって易の研究は、いかにして「タオ」に近づくかという道の一つです。

4884741641易と人生哲学 (致知選書)
安岡 正篤
致知出版社 2011-09-16

2012年4月5日木曜日

易は哲学である――『易と人生哲学』

易の探究で、安岡正篤『易と人生哲学』に至り着きました。
この本はいいですね! 易の本質を語っています。つまり、易には深い哲学がこめられているということを力説しています。
そして、運命とは決して「宿命」というように動かしがたいものではなくて、むしろ、自分で運命を作るものであり、それを立命といい、易はそれを教えているんだということです。

前に、日本語の易の本に感じられた違和感を書いたのですが、この疑問はこの本でかなり答えられたと思います。
ともすると易の本は、運勢というものを客観的にあって動かしがたいかのように理解して、それを言い当てるのか外すか、という問題意識で説明されたりしていますが、それはやはり、違うのだということがこの本でははっきりとわかります。

安岡さんは、易に本当に通ずれば占うまでもない、自分で、今の状況は何の卦にあたるからどうすればいいか、わかるようになると言います。そこまで行くのが理想だということです。

易の根本思想を理解することが大事なんですね。当たった・当たらないというレベルで話していてはいけないわけです。

それで、私が、どうも英語の易の書物の方が深みがあるように思えるというのも、西洋人が易に関心を持つのは、やはり、易の持っている哲学にひかれているという部分が大きいからでしょう。それが易の解釈にも入ってきますし、当然ながら、状況を踏まえてそれをどうしていくかという、自分の運命を創造する(つまり、現実を創造すると言っても同じですが)方法として学ぼうというところがどこかに出てくるのですね。
その点、日本の易者は、どうしても、当たった当たらないというレベルに終わりがちなところも時々見受けられる、ということだと思います。

自分の現実を創造するという視点で見れば、現在の「引き寄せの法則」にも通じるのです。つまり、易が自分の波動を見せてくれるものとすれば、その波動が必然的に作り出す現実も見えることになりますね。そこで自分の波動をどう変えればいいのかのヒントをつかむ、と理解できます。その点、引き寄せの法則で言われる方法よりも、易は状況によって違うストラテジーを教えるという点できめが細かいということも言えそうです。たしかに、困ったときは「ついてる!」と言えばいい、というのも決して間違いではないのですが、もう少し細かく状況ごとに見ていってもいいのかな、という気もします。

というわけで、安岡氏の易の本は他に何冊かあるので、さらに読んでみようと思います。
前に「伝統にとらわれることもない」と書きましたが、それは「偽の伝統」だったのかもしれませんね。日本の易占家の伝統ではなくて、中国古典としての伝統を学ぶと考えればまた全然別の話です。

実際この本でも、単に原理を説いているだけではなくて、64卦の配列の意味を語っているのも参考になりました。
ところで、今の日本には、この手の、東洋思想に造詣が深くてそこからいろいろ発言するような人がすごく少ないように思えます。
この間、中国アマゾンを探索していてわかったんですが、今の中国ではけっこう、そういう伝統・古典の知恵を語るような人がわりといるようです。それを中国では「国学家」と呼んでいるみたいです。
日本の思想界はここまで古典と離れてしまっていいのか、という気もしますね。

4884741641易と人生哲学 (致知選書)
安岡 正篤
致知出版社 2011-09-16

2012年4月4日水曜日

占いの本質、易のあり方について

易の本を何種類か集めましたが、英語の易の本も入手しました。
どうも日本語で出ている易の本より英語の方が多いらしいです。日本語では一般書店には売ってない専門書(占い書籍専門店で買う)が多く、普通に売ってる実占向きの本は数えるほどなんですが、英語ではほとんどルーン占いと同じような扱いで、けっこう人気があります。
日本ではマーフィー以外訳されていませんね。

そのマーフィーの本もそうですが、英語の易本ではある程度、「自分の現実は自分で創造している」という考え方が入っていると思います。
それが、どうも日本語の本を見ると、それがあまりないです。つまり、「運命」というものを、客観的にあるもののごとくイメージしていて、動かしにくいものだという思いがどこかにあるような感じもします。

結局、占いの効用とはどういうことか、ということになるんですが、
それは、「現在の自分の波動を表したもの」だということになると思います。
サイキックにリーディングするのも同じことですね。その人のエネルギーレベルにある情報を読んでいるわけですね。
占いもそれと同じだと思います。占いは、サイキックなリーディングを触発するための触媒なのです。サイキックと言って語弊があれば、無意識の知恵とも言えますが。あるいはハイアーセルフのレベルから見るという言い方もできます。
つまり「いま私(あるいは相手)のエネルギーはこういう状態にあるので、このままいけば、こういう方向に進んでいく」ということを表しているのです。
ですからそれは決定しているものではなくて、自分のエネルギーを変えさえすればその方向も変化するわけですね。
そのためにどうしたらいいかというので、私はタロットの場合は最後に「アドバイスカード」を引くことにしています。
現状、将来の方向性、アドバイスという三枚が基本ですね。それが私流のタロットのやり方としてだんだんできてきた方法です。
このやり方は、運命は決まっているものではなくて、エネルギー状態の反映だという思想に基づいているやり方なのです。

というわけで、易についても、そういう感じでのやり方は何が一番いいか、ということをいろいろ試してみているわけです。
どうも日本語の本では、この卦が出たらこう見る、という前例があってそれを学ぶというスタイルが多いんですね。でもそれはあまりとらわれなくてもいいんじゃないかと思います。

易というのはもともと、シャーマンが変性意識に入ったところで見たものや、出てきた言葉を記録するところから始まっています。それに後世、いろいろ儒教の立場からたくさんの注釈が積み重ねられて今に至っています。その歴史で、これはこう解釈するというスタイルができてます。日本で易を学ぶというとどうしてもそういう伝統の中でやるというスタイルになります。
ところが西洋では、易への関心はユングから始まってますので、むしろ深層意識的な解釈に人気があるわけですね。

私たちは、伝統の見方はいちおう知りつつも、それにあまりとらわれず、深層意識的解釈も学びつつ、また、微細次元のエネルギーを読むという核心をおさえつつ、新しい易占のスタイルを見出すべきだ、と感じるに至りました。
そこで、今から三年以内に、そういうスタイルを作って本にまとめる、という未来を設定することにしました(^^)

たとえば、「困」というあまりよくないとされる卦が出ました。
それが、「占いについて語ることについて」を占ったら出たので、どう読むのか「困」りました。どの本を読んでもみな「凶」なので。
ところが英語の易の本には、この漢字が今の活字体ではなくて、象形文字に近い昔の自体で出ているんですが、それを見るとこれは、木が枠の中に入って窮屈である、というイメージがありますね。枠によって成長が阻害されてる、それが「困」なのです。
ということは、そういう枠を脱出することがポイントではないか、という読み方ができるわけですね。
また易経の文には、「言うことが信じてもらえない」というくだりがあるのですが、これは、実際にそういうことが起こるぞという運命を示しているというより、自分の中にいまだそういうネガティブな思い込みが存在することを示し、それをクリアリングする必要を教えている、と読むことができます。

というわけで、この「困」の卦はなかなか学びの多いものでした。

タロットの場合も、はじめは本で意味を学びますが、やってるうちにあまり本は気にしなくなって、絵柄から連想されることを次々と話すようになるんですが、易も同様に、その卦の姿や、その名前の字、それとそこにつけられている文章のどこに注目してどう読むかはまったくイマジネーションに任されていると思います。本来、占いとはそういうものではないかと。読み方の「正解」があるわけではないですね。それはあくまで伝統的にはそういう読み方が多い、というだけであって。

あと、タロットのアドバイスカードのようなものを易で見るにはどういうやり方があるのか、ということが気になります。

というわけで、タロットなどが好きな人に勧められる日本語の易の本は、現状では、マーフィーの本です。ちょっとくせはありますが。標準的な見方を知りたい場合は、黄小娥『易入門』がいいと思います。特にマニアックに追求するのでなければその二冊でいいですね。

483796155Xマーフィー博士の易占い 運命が不思議なほどわかる本 (王様文庫)
ジョセフ マーフィー Joseph Murphy
三笠書房 2002-08

4763195808黄小娥の易入門
黄 小娥
サンマーク出版 2004-04

あとそれから、『すぐに役立つ銭流易経』も、イメージ力を使うことを強調していて、けっこう読んで面白いです。

なお、ここで書いてる英語の易の本はこちらです。この人はユング系だと思われますが、中国語もできる人のようです。

074993980XTotal I Ching: Myths for Change
Stephen Karcher
Piatkus Books 2009-07-07

この本もそうですが、三枚のコインが表紙にかいてある本が多いです。西洋では、易はコインで占うと思っている人も多いみたいです。まあ、筮竹は普通、手に入りませんからね。

なお、占いそのものはエネルギー状態の診断ができるだけで、占いはヒーリングではありません(状態を自覚しただけでヒーリングが起こることもありえますが)。ネガティブな波動や思いをクリアリングする方法はまたべつに考える必要があります。医学にたとえればレントゲンであって、それ自体は治療ではないわけですね。