この本はいいですね! 易の本質を語っています。つまり、易には深い哲学がこめられているということを力説しています。
そして、運命とは決して「宿命」というように動かしがたいものではなくて、むしろ、自分で運命を作るものであり、それを立命といい、易はそれを教えているんだということです。
前に、日本語の易の本に感じられた違和感を書いたのですが、この疑問はこの本でかなり答えられたと思います。
ともすると易の本は、運勢というものを客観的にあって動かしがたいかのように理解して、それを言い当てるのか外すか、という問題意識で説明されたりしていますが、それはやはり、違うのだということがこの本でははっきりとわかります。
安岡さんは、易に本当に通ずれば占うまでもない、自分で、今の状況は何の卦にあたるからどうすればいいか、わかるようになると言います。そこまで行くのが理想だということです。
易の根本思想を理解することが大事なんですね。当たった・当たらないというレベルで話していてはいけないわけです。
それで、私が、どうも英語の易の書物の方が深みがあるように思えるというのも、西洋人が易に関心を持つのは、やはり、易の持っている哲学にひかれているという部分が大きいからでしょう。それが易の解釈にも入ってきますし、当然ながら、状況を踏まえてそれをどうしていくかという、自分の運命を創造する(つまり、現実を創造すると言っても同じですが)方法として学ぼうというところがどこかに出てくるのですね。
その点、日本の易者は、どうしても、当たった当たらないというレベルに終わりがちなところも時々見受けられる、ということだと思います。
自分の現実を創造するという視点で見れば、現在の「引き寄せの法則」にも通じるのです。つまり、易が自分の波動を見せてくれるものとすれば、その波動が必然的に作り出す現実も見えることになりますね。そこで自分の波動をどう変えればいいのかのヒントをつかむ、と理解できます。その点、引き寄せの法則で言われる方法よりも、易は状況によって違うストラテジーを教えるという点できめが細かいということも言えそうです。たしかに、困ったときは「ついてる!」と言えばいい、というのも決して間違いではないのですが、もう少し細かく状況ごとに見ていってもいいのかな、という気もします。
というわけで、安岡氏の易の本は他に何冊かあるので、さらに読んでみようと思います。
前に「伝統にとらわれることもない」と書きましたが、それは「偽の伝統」だったのかもしれませんね。日本の易占家の伝統ではなくて、中国古典としての伝統を学ぶと考えればまた全然別の話です。
実際この本でも、単に原理を説いているだけではなくて、64卦の配列の意味を語っているのも参考になりました。
ところで、今の日本には、この手の、東洋思想に造詣が深くてそこからいろいろ発言するような人がすごく少ないように思えます。
この間、中国アマゾンを探索していてわかったんですが、今の中国ではけっこう、そういう伝統・古典の知恵を語るような人がわりといるようです。それを中国では「国学家」と呼んでいるみたいです。
日本の思想界はここまで古典と離れてしまっていいのか、という気もしますね。
易と人生哲学 (致知選書) 安岡 正篤 致知出版社 2011-09-16 |
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