易というと、盛り場の隅の薄暗い一角であんどんを立てて易をやっている「易者」のイメージを思い浮かべる人が多いと思います。
それが現代日本人の易のイメージですが、実は易というのは、本来は、もう少し「偉い」ものです。
易のものになる「易経」という本は、中国の古典の中核を占め、中国の深遠な「タオ」の哲学を表現し、それによって万象を理解しようというものです。
中国、そして日本でも、必須の教養として古典を読むということがあり、それは「四書五経」と言われていました。
四書とは、論語・大学・中庸・孟子であり、五経が、易経・書経・詩経・礼記・春秋です。易経は、「五経の首」なのです。
日本人でも戦前くらいまでは、リーダーになるような人はみなこれを読んでいたのであり、易は必須の教養であったのです。
そういう古典としての易を知るには、安岡正篤の本を読むといいと思います。
たとえばこちら。読むと、易とはいかに偉いものであるかがわかります(^^)
私にとって易の研究は、いかにして「タオ」に近づくかという道の一つです。
易と人生哲学 (致知選書) 安岡 正篤 致知出版社 2011-09-16 |
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